チリの基本情報

チリはどんな国?

「チリはどんなところですか?」と聞かれて、答えるなら、「全ての美しいものを持つ国です」という一言に尽きるでしょう。全長4300kmにも及ぶ細長い国、それがチリです。

北のアタカマ砂漠、東にアンデス山脈、その山脈を望む首都のサンティアゴは人口約668万人(2018年調査)の大都市。またサンティアゴ近郊の中央渓谷には、世界的にも有名なチリワインを作り出す数々のワイナリーがあります。

南部の湖沼地帯、さらにその南は美しい山々、湖、氷河でも有名な、風の大地パタゴニア。またモアイで有名なイースター島も忘れてはいけません。

国土の約80%が山岳地帯で、約50の活火山があります。観光地を見て歩くだけではなく、スポーツ好きの方のためには、スキーやサーフィン、川下り、ダイビングなどができる場所もあります。

このように、一つの国の中だけでこれほど様々な地形、気候、風土が楽しめるのはチリだけです。その分もちろん見どころも多くあります。地図を眺めているだけで、わくわくしてきませんか?

チリの基本情報

項目 内容
国名 チリ共和国 Republic of Chile
人口 1875万人【2018年国家統計院調査】
首都 サンティアゴ
言語 公用語はスペイン語。そのほかマプーチェ語なども存在
人種 スペイン系(75%)、その他のヨーロッパ系(20%)、先住民系(5%)
宗教 カトリック(77%)、エバンヘリコ(12%)、プロテスタント(6%)、その他ユダヤ教など【2012年国勢調査】
政治 立憲共和制。議会は上院と下院の2院制、地方行政は自治権を持つ15の州から構成されています。 外交ではアジア・太平洋諸国との関係を重視、APECに加盟しており、日本との関係では2007年に経済連帯協定(EPA)、2016年に租税条約が結ばれています。
経済 天然資源、農林畜産物、水産物を中心とした輸出がチリ経済を担っています。 主な輸出品目は、銅、鉄、モリブデンなどの鉱物資源、木材チップなど林業関連品、野菜、果物、ワインなど農業関連品、鮭を中心とした漁業品となっています。
地理 南米大陸の太平洋南岸にあり、南北約3400kmに渡る細長い国。北はアタカマ砂漠、東はアンデス山脈、西は太平洋、南は氷河に覆われ、南太平洋のイースター島を領土としています。 砂漠から氷河まで様々な風景や気候を持つ国で、このような地形から陸の孤島とも呼ばれています。
気候 北から砂漠気候、地中海性気候(中部)、温暖湿潤気候(南部)、亜寒帯気候(パタゴニア地方)、亜熱帯気候(イースター島)と他所多様な気候帯が存在しています。
時差 日本より13時間遅れ。但し10月第2週土曜日から翌年3月第2週土曜日までのサマータイム期間は12時間。イースター島は日本より15時間遅れで、サマータイム期間は14時間になります。
通貨 ペソ(表記は$)。紙幣は1000・2000・5000・10000・20000、貨幣は1・5・10・50・100・500となっています。
電話 国番号+56
電気 チリではイースター島を含め220ボルト/50アンペアです。国内で使用されるプラグの形状、コンセントはほとんどがC型(2穴もしくは3穴タイプ)です。
治安 南米諸国の中でも安全な国ですが、隙を狙った犯罪、置引き・スリなどには注意が必要です。特に旧市街の観光地での犯罪が目立っており、人ごみの中や人気の少ない場所、夜の一人歩きには十分ご注意下さい。
営業時間
  • 通常の商店、デパートなど 10:00~20:00(地方都市などは昼休みあり)
  • 銀行、公共機関 9:00~14:00
  • スーパーマーケット 10:00~21:00ごろ
飲料水 水道水は硬水のため、ミネラルウォーターの飲料をおすすめします。ミネラルウォーターには炭酸入りとなしの他、香りやミネラルを添加した機能水も売られています。
空港税 サンティアゴ空港の国際線空港使用税は30米ドル。国内線空港使用税は利用する空港により異なります。通常は国際線/国内線共に航空券購入時に含まれている場合が殆どです。
チリの祝日(2021年)
  • 1月1日 新年 Año Nuevo
  • 4月2日 聖金曜日 Viernes Santos
  • 4月3日 聖土曜日 Sábado Santos
  • 5月1日 メーデー Día Nacional del Trabajo
  • 5月21日 イキケ海戦記念日 Día de las Glorias Navales(Combate Naval de Iquique)
  • 6月28日 聖ペドロ、聖パブロの日 San Pedro y San Pablo
  • 7月16日 聖母カルメンの日 Día de la Virgen del Carmen
  • 8月15日 聖母昇天祭 Asunción de la Virgen
  • 9月17日 ナショナルデー Feriado Nacional
  • 9月18日 ナショナルデー(独立記念日) Independencia Nacional
  • 9月19日 軍隊記念日 Día de las Glorias del Ejército
  • 10月11日 アメリカ大陸発見の日 Día del Descubrimento de Dos Mundos
  • 10月31日 プロテスタント教会等の日 Día Nacional de las Iglesias Evangélicas y Protestantes
  • 11月1日 万聖節 Día de Todos los Santos
  • 12月8日 聖母受胎日 Día de la Inmaculada Concepción
  • 12月25日 クリスマス Navidad

チリの物価情報
(サンティアゴ)

バスやタクシーは一体いくらするのだろう?飲み物は?など、一般的な物価情報を以下に揃えました。

最終更新日:2019年11月

項目 内容
地下鉄 METRO DE SANTIAGO

$800/$720/$700/$640

事前にプリペイドカード (Tarjeta bip)を購入する必要があります。 料金形態が分かれているので、詳しくはこちらのページを参照してください。

METRO DE SANTIAGO 料金表(スペイン語)

市内バス Transantiago

$800/$720/$700/$640

事前にプリペイドカード (Tarjeta bip)を購入する必要があります。 料金形態が分かれているので、詳しくはこちらのページを参照してください。

Red Metropolitana de Movilidad 料金表(スペイン語)

タクシー

初乗り料金 $300

以降200mまたは1分ごとに130チリペソが加算されます。 その他、深夜料金などの割増料金があります。 チップは不要です。

空港バス
  • Tur Bus $1900(片道)
  • Centro Puerto $1800(片道)
空港タクシー $20000-$24000(行き先により料金が異なる)
日本への郵便料金(はがき、封筒) $880
ミネラルウォーター 1本(600ml) $600-$800
ビール 1本(500ml) $790-$1290
タバコ 1箱(20本入) $3200-$4500
一般的な食堂での昼定食メニュー Colacion $3500-$8000
マクドナルド セットメニュー Combo del Dia $3190

チリの歴史

チリは他の南米諸国と同じく、元々いた原住民インディヘナの歴史と、その後にやってきたスペイン征服者の歴史に大きく分かれます。

チリの場合、後者のスペイン植民地後は19世紀の独立戦争を境にさらに二分され、近代においても世界初の直接選挙で選ばれた社会主義政権、クーデターによって築かれた軍事政権、そして南米の中でも郡を抜いて高度に発展した経済と細かく分けることが出来ます。

チリの先住民

すでに、1万2000年前には先住民が定住していたと言われ、中央アジアから大昔は地続きであった現在のベーリング海峡を渡り、その一部はアラスカなどでイヌイットとなり、また北アメリカではネイティブ・アメリカン、ユカタン半島、中南米ではマヤ・アステカ民族、南米ではインカ、アイマラ族、チリ国内ではマプチェ族、そしてアメリカ大陸最南端ホーン岬にまで至ったとする説が現在は有力です。この説によると約1万3000年前にはじめて人類がチリの国土に入った事になります。

新大陸発見時代前~スペイン植民地時代

インカ帝国が現在のチリ領土への侵入を1470年に開始したのち、同帝国の支配はチリの北ブから中部マウレ川へと達し、16世紀まで続きます。しかし、チリ南部には先住民アラウカーノ族がインカ帝国に対し強く抵抗していました。

スペインによる征服・植民地時代 コロンブスのアメリカ大陸発見から28年後の1520年10月21日、フェルナンド・デ・マガジャネス(Fernando de Magallanes、日本では「マゼラン」と呼ばれる)は飽くことなく探し求めていた大西洋と太平洋を繋ぐ海峡を発見しました。この海峡はマゼラン海峡(Estrecho de Magallanes)と呼ばれ、彼は今日のチリ領土に最初に足跡を記したヨーロッパ人であるとされています。

1540年、スペイン人征服者、フランシスコ・ピサロの部下であったペドロ・デ・バルディビアの遠征隊がチリに遠征します。彼は1541年サンティアゴを設立し、1544年に設立したラ・セレナの町を北端、1550年につくられたコンセプシオンの町を南端とする、南北の距離が1100キロに及ぶ領土を確立します。

それ以降、3世紀にわたってスペインの植民地支配がチリで続きました。

日本ではこのころ、戦国時代のまっただなかです。

独立運動時代

クリオージョ(南米生まれのスペイン人)たちによって開始された独立への戦いは、マイプ、チャカブコ、ランカグアなどチリ中部での度重なる戦闘の末、南米独立の英雄サン・マルティンの援助を得たべルナルド・オヒギンス率いる独立軍の勝利に終わります。そして1818年2月12日、スペインからの独立宣言に至りました。

日本ではこのころ、江戸時代後期、明治時代に移ろうとしているころです。

自由主義的共和国時代

19世紀後半のチリは、他の南米諸国を上回る繁栄を謳歌し、ラテンアメリカの中で先進国の一つに数えられるまでに発展します。その繁栄を支えたのは、チリ北部のタマヤ銅山、カラコレス銀山、そして当時発見された硝石によるものでした。

特に、莫大な利益をもたらす硝石地帯の所有権をめぐっては、ペルー・ボリビア連合と争い、太平洋戦争(1879年~1881年)が勃発します。この戦争に勝利したチリは領土を拡張し、硝石地帯のほぼすべてを手中にします。

日本はこのころ、明治時代。伊藤博文が内閣総理大臣になっていたころです。

議会主義と社会問題(1891年~1938年)

短期間の内戦の後に、大統領への極端な権力集中への反省から議会主導体制が導入されます。これは、南米の政治の伝統にはなかったもので、新しい政治体制により支配階級への権力集中がさらに強力となります。そして、政治、経済、社会的危機が、生じ始めることになります。

その後混乱の中民主的な政権交代が続いた後、1970年サルバドール・アジェンデが選挙によって大統領に選ばれます。

日本はこのころ、第二次世界大戦を経て、平和の時代へと移り変わる時期です。

軍事政権時代(1973年~1990年)

しかし、あまりにも急激な変革は人々の不満を生むこととなり、社会的混乱を招き、経済は麻痺します。

そして、かの有名なピノチェト陸軍総司令官によるクーデターが1973年9月11日に勃発、その後軍事政権が続き、1989年12月に行われた総選挙によって選ばれたパトリシオ・エイルウィンが1990年3月大統領に就任し、軍事政権が終わります。

日本はこのころ、昭和から平成へ移り、バブル経済を経験したころです。

民政移管後

エイルウィン大統領、その後のエドゥアルド・フレイ大統領政権では、軍事政権時代の自由主義経済政策を基本的に継承しつつ、社会政策の充実による経済格差の是正を図ります。

その結果、経済成長の維持とインフレの漸進的低下には成功、貧困層も減少しましたが、他方社会格差の是正は進みませんでした。

歴史上初めての女性大統領

現在の大統領は民政移管後4人目のミチェル・バチェレ大統領、2006年1月の大統領選挙で当選し、チリの歴史上初めての女性大統領が誕生しました。元小児科医、3児の母という特徴を活かし医療改革などを行っています。

2007年9月には日本を訪れ、日本・チリ経済連携協定調印式などに出席。天皇皇后両陛下との昼食会にも参加しました。

チリの世界遺産

チリには現在(2019年)6つの地域がユネスコにより世界遺産として登録されています(すべてが文化遺産です)。かけがえのない人類の遺産を巡る旅もおすすめです。

ラパ・ヌイ国立公園
ご存知、モアイで有名なイースター島です。島内の海岸沿いの多くがラパ・ヌイ国立公園として指定されており、その公園内が世界遺産となっています。公園内には多くのモアイをはじめ、ラパヌイ人がその昔使用していた住居跡なども存在します。
チロエの教会群
チリ南部に位置するチロエ島に点在する教会群です。チロエ島には約150もの教会や聖堂があり、ほとんどが木造です。教会は18世紀ごろから建てられ、他のチリ国内の教会とは異なる建築様式です。
バルパライソの海港都市の歴史的街並み
チリ最大の港町バルパライソの市街地に広がる歴史的な街並みの地域です。中央市場がある辺りからコンセプシオンの丘にいたる、町並みが世界遺産に指定されています。太平洋に面した丘陵地帯に広がる市街地には、独特の傾斜地に建てられた家々が並び、ノスタルジックな風景をかもし出しています。
ハンバーストーンとサンタ・ラウラ硝石工場群
チリ北部、イキケ市から約45km内陸に入った場所にある、硝石工場群があったハンバーストンとサンタ・ラウラと呼ばれる場所です。これらの工場は19世紀後半から20世紀半ばごろまで、硝石を採掘し運営されていました。
スウェル鉱山都市
サンティアゴ市の南にある、エル・テニエンテ鉱山にある鉱山の町の跡です。エル・テニエンテ銅山は現在でも地理屈指の銅山として運営されておりますが、1970年代以降鉱山関係者が住む住居は現在は山の麓の都市ランカグアに移り、スウェルは町の面影を残したまま廃墟となりました。町は山の斜面に建てられ、それぞれの建物がカラフルな色に塗られ、独特の建築様式と合わせ美しい景観を保っています。
アンデスの道路網カパック・ニャン
世界遺産認定40年間の歴史の中でも初めて、南米大陸に属する6カ国(ペルー、エクアドル、コロンビア、ボリビア、チリ、アルゼンチン)共同で申請が行われたアンデスの道路網カパック・ニャン。インカ帝国が支配した海岸砂漠地帯とアンデス高山地帯を東西南北につなぐ道路網で、一説によると6万キロにも達すると言われています。